もしも、日本に日本人がいなくなったら。
そんな未来を想像してみる。
街並みはきっと、そのままだ。
高層ビルも、コンビニも、自動販売機も残っている。
電車は正確に走り、信号はきちんと変わる。
でも、聞こえてくる言葉が違う。
交差点で交わされる会話が、
駅のアナウンスが、
子どもたちの笑い声が、
すべて別の響きになっている。
名前は日本。
地図の形も変わらない。
けれど、中身はもう別の国だ。
それは衰退の結果なのか。
少子化の行き着く先なのか。
それとも、ただの自然な変化なのか。
文化はどうなるだろう。
正月の静けさ、花見のざわめき、
お盆の帰省ラッシュ。
それらは形だけ残るのか、
それとも静かに消えるのか。
日本人がいない日本。
そこに「日本らしさ」は残るのだろうか。
でも、よく考えてみると、
日本らしさとは何なのだろう。
几帳面さ。
空気を読む文化。
遠慮と本音のあいだ。
それらは血なのか、環境なのか。
土地がそうさせるのか、人がそうさせるのか。
もし新しい人々がこの土地に住み、
この気候の中で暮らし、
同じ四季を見上げるなら、
やがてまた別の「日本らしさ」が生まれるのかもしれない。
国は人でできている。
でも同時に、土地もまた人をつくる。
日本人がいない日本は、
終わりなのか、始まりなのか。
未来は怖い。
けれど、変わらない国など、どこにもない。
静かな駅のホームで、
違う言葉が飛び交う光景を想像しながら、
私はいまの日本語を、少しだけ大事に思った。
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