未来の暮らしは、きっと今よりずっと便利になる。
買い物に行かなくても、必要なものは家に届く。
料理をしなくても、体に合った食事が用意される。
道に迷うこともなく、病気の予兆も早く見つかり、仕事の多くは機械が助けてくれる。
たぶん、生活は今よりラクになる。
それは悪いことではない。
人間はずっと、少しでもラクに生きるために道具を作ってきた。
火を使い、車を作り、電話を作り、インターネットを作った。
未来の便利さも、その延長にあるのだと思う。
ただ、便利になりすぎた世界で、ふと考えることがある。
人間は何を失うのだろうか。
失うもののひとつは、不便の中にあった感覚かもしれない。
歩いて店まで行く途中に見た空。
誰かに道を聞いたときの短い会話。
重い荷物を持って帰った日の疲れ。
うまくいかない料理を作りながら覚えた手の感覚。
そういうものは、効率だけで考えれば無駄に見える。
けれど、人間の記憶は、案外そういう無駄な時間の中に残っている。
便利な未来では、失敗する前に修正される。
迷う前に案内される。
悩む前に答えが出る。
それは安心でもある。
けれど同時に、自分で考えて遠回りする時間が少しずつ減っていく。
間違えた道に入って、知らない景色を見る。
欲しいものがすぐ買えなくて、何日も考える。
誰かに頼まなければならなくて、少し気まずい思いをする。
そういう不自由さの中で、人は自分の小ささも、他人のありがたさも知っていたのかもしれない。
便利すぎる未来では、孤独も見えにくくなる気がする。
画面の向こうには、いつでも誰かがいる。
AIも話を聞いてくれる。
必要な情報も、慰めの言葉も、すぐに出てくる。
でも、本当に誰かと向き合う時間はどうなるのだろう。
返事を待つ時間。
相手の表情を読む時間。
言葉にならない沈黙を受け止める時間。
そういう面倒なものまで、未来は短縮してしまうのだろうか。
便利さは、人を助ける。
それは間違いない。
けれど、便利さだけを追いかけると、人間は少しずつ「待つ力」を失っていく気がする。
待てない。
迷えない。
失敗できない。
遠回りできない。
そんな世界は、効率的ではあるけれど、少し息苦しい。
未来の問題は、便利になることそのものではないと思う。
便利になったあとも、人間が不器用でいられる場所を残せるかどうか。
そこが大事なのだと思う。
たまには歩く。
たまには自分で作る。
たまには答えをすぐに出さない。
たまには誰かの遅い返事を待つ。
そういう小さな不便を、全部消さずに残しておく。
未来がどれだけ便利になっても、人間には人間の速度がある。
機械のように正確でなくてもいい。
いつも最短距離で進まなくてもいい。
すぐに答えを出せなくてもいい。
便利すぎる未来で本当に失ってはいけないものは、たぶん不便そのものではない。
不便の中で感じていた、迷い、疲れ、会話、待つ時間、そして自分で選んでいるという感覚なのだと思う。
未来は、きっと便利になる。
だからこそ、人間はときどき立ち止まって考えなければならない。
これは本当にラクになるための便利さなのか。
それとも、自分で生きている感覚まで手放してしまう便利さなのか。
未来がどれだけ進んでも、最後に残したいのは、少し不器用でも自分の足で歩いているという感覚なのかもしれない。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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