いつからだろう。
未来の話をすると、少し気まずい空気が流れるようになったのは。
「どうせ無理だよ」
「これからは厳しい」
「もう成長なんてしない」
そんな言葉が、当たり前のように並ぶ。
テレビのニュースでは、少子高齢化や経済停滞の話題が繰り返される。
街を歩けば、閉まったままのシャッターを見かける。
SNSを開けば、怒りや諦めがタイムラインを埋めていく。
気づけば、希望を語ることが少しだけ恥ずかしい行為になっていた。
高度経済成長の時代、
この国は右肩上がりを信じて疑わなかった。
けれどバブル崩壊を経て、
「失われた30年」という言葉が定着したころから、
未来は上に伸びるものではなく、
守るもの、減らさないものへと変わっていった。
守ることは大切だ。
安定も安心も、社会には必要だ。
でも、守ることだけを続けていると、
いつの間にか前に進む力を忘れてしまう。
希望とは、無責任な楽観ではない。
現実を見たうえで、それでも少し良くなると信じる力だと思う。
それなのに今、
希望を語る人はどこか浮いて見える。
「きれいごと」と片づけられる。
悲観は賢く見える。
冷笑は強く見える。
けれど本当に強いのは、
不安を抱えながらも前を見る人ではないだろうか。
少子化が進む国で。
経済成長が鈍い国で。
将来不安が語られ続ける国で。
それでも、未来を想像することをやめない人がいる限り、
この国はまだ終わっていない。
希望を語れなくなった国で、
それでも希望を語る。
大きな夢でなくていい。
明日は少し良くなるかもしれない、
そのくらいの小さな仮説でいい。
未来は突然明るくはならない。
けれど、想像されなくなった未来は、
本当に暗くなってしまう。
だからこそ、
今日も静かに問いを置いておきたい。
この国の未来は、本当に語る価値がないのだろうか。
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