いつからだろう。
若者が大きな夢を語らなくなった、と言われるようになったのは。
「安定がほしい」
「無理はしたくない」
「普通でいい」
それは本当に、挑戦を失った姿なのだろうか。
生まれたときから、
右肩上がりを知らない世代がいる。
景気は回復途上と言われ続け、
将来不安は常にニュースの片隅にあった。
努力すれば必ず報われる、
そんな単純な物語は、
どこか現実味を失っている。
終身雇用は揺らぎ、
年金制度への不安は消えず、
物価は上がり、賃金は思うように伸びない。
そんな環境で育てば、
夢よりもリスク管理を優先するのは自然かもしれない。
語らなくなったのではなく、
語れなくなったのかもしれない。
大きな夢は、
失敗したときの反動も大きい。
SNSの時代、
挑戦も失敗も、瞬時に拡散される。
目立たないことが、
ひとつの防御になる。
けれど本当に、
若者は未来を諦めているのだろうか。
形が変わっただけではないか。
大企業よりも自分らしさ。
出世よりもバランス。
肩書きよりも納得感。
それは夢が小さくなったのではなく、
価値観が変わっただけかもしれない。
かつてのような、
国全体がひとつの方向を向く時代ではない。
多様な選択肢の中で、
それぞれが静かに未来を設計している。
若者が未来を語らなくなった理由。
それは悲観だけではなく、
社会が用意してきた前提への静かな違和感かもしれない。
もし本当に語らせたいのなら、
「頑張れ」と背中を押す前に、
挑戦しても大丈夫だと思える土台を整える必要がある。
未来は、若者だけの責任ではない。
社会全体の空気の問題だ。
語られなくなった未来の代わりに、
私たちはどんな物語を用意できるだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿